30代女子きりたんの働く妊娠出産育児ブログ

働くママブログです。30代で初出産したあれやこれやと、育休を経ての共働き生活、子育てなど。

出産後2年経って思い出す出産てどんなんだったか

こんばんは。

なんとはじめての海外出張になり、3日間家をあけることになり、今海外です!

二歳の娘にとってはうまれてはじめてママと長期間離れるという、ビッグイベントです。成長するといいなあ~なんて言いながら、すでに日本を発つときから私の方が涙目で、「さみしい!娘ちゃんの様子を送ってくれ!」と旦那にせがみ、さらについさっきどうしても気になってLINEでビデオ通話してしまうという体たらくです。ビデオ通話で「ママ!」と言って話してくれるようになるなんて・・・よよよ。二年前はあんな赤子だったのに・・・。

 

ということで、二年前の出産レポを読み返してみると、あれって産後すぐだったので結構内容が適当な部分もあるので、今覚えている範囲ですが、私個人の経験ですが、出産てどのくらい痛かったのか、何が大変だったのか、どれくらいかかったのか、というのを時系列できれいにまとめてみます。

あ、きれいにまとめるとはいえ、内容は出産体験記なので正直いろいろと壮絶なので、そこんとこはご了承ください。

 

2年前の7月某日 朝5時~7時 陣痛開始

前日に茶色いおしるしがあり、なんとなく夜眠れず、朝方5時ごろ目覚めると、生理痛のような痛みが10分おきできていました。腰がダル重い感じ。

きたな~と思ってとりあえずシャワーを浴びたり、朝ご飯を食べるなどの余裕はある感じでした。

(痛み度数=☆ 10分おき)←ちなみに☆1個が通常の生理痛と思ってください。

 

朝8時~9時 破水

病院があいたら診察するので来いと言われたので、入院準備を一応して出発。この頃はちょっとつらい下痢のときの痛みが10分おき。歩くのが一瞬止まる感じ。

ふつうに診察待ってるあいだ談笑してられた。

診察に入るとまだ子宮口が全然空いてないので帰されそうになったところでバシャー!と破水。今まで感じたことのない大量の液体がゆるゆる股間から出続けるのをおむつのようなパッドでおさえて、車いすで部屋まで移動。

(痛み度数=☆☆ 10分おき)

 

朝9時~13時 割と元気

病室に入ると陣痛計測と赤ちゃんの心音を測る機械を取り付けられる。これがなんか身動きがとりづらくなって疲れた。

病室で談笑したり、おにぎり食べたりと余裕。おしりがどんどん濡れてくるのがきもちわるくて何度もトイレに。もれそうな感じがするのがいやだった。

痛みがどうとか気にならないくらい「これから生まれるんだ!」と興奮気味。旦那は同室でジャンプ読みながらしゃべってて、私はツイッターしてました。

今思えばこのときに寝ておけばよかった!寝ておけばよかったのです!!

(痛み度数=☆☆ 10分おき)

 

13時~20時 刻々と増す痛み

だんだんと痛みが増してきて、「ふー」とか息を吐きながらこらえるように。痛みの間隔も5分ほどに縮まってくる。呼吸法って大切なんだなーと思いながら一生懸命吐いてた。

破水が気になるのでトイレに行って、パッドを変える間に3回くらい陣痛が来てトイレからなかなか出られなくて死にそうになった。

夕ご飯は来たが、全く手を付けられず。この頃から、「陣痛これ以上いたくなったらやばくね?」と恐怖を感じ始める。

(痛み度数=☆☆☆☆☆ 5分おき)

 

20時~22時 陣痛室へ移動 本格的な陣痛開始

陣痛質へ移動し、抱き枕にまたがりながら、床のマットの上で痛みをこらえる。

両親がやってきて「どうー?」とかいうが答えられない。痛みで返事ができないっていうことがほんとにあるんだ!と驚き。本気で苦しんでいる私を見てゲラゲラ笑いながら帰って行ったときは正直殺意を覚えました。いつか殺してやる。

感覚的にはこの頃にはすでに1分おきくらいな感じでした。うちは旦那が立ち合いだったので、痛みがきたら旦那にしがみつく、というのを繰り返してたのですが、途中で旦那の母親から電話が入り、「生まれた~?」という声が。。。

朝に旦那が陣痛はじまったって連絡したからなんだけど。今佳境!超佳境なんだよ!ふざけんな旦那も電話切れ!氏ねボケ!という私の心の声が聞こえたらしく、旦那も「今無理!無理だから!」と言って切っていた。

だがその後やってきた助産師に、「あとどのくらいで生まれるんですか?」とか私の目の前で聞きやがって、「うーん、今5cmだから、あと半分ね」「何時間くらいですか?」「1cmに1時間ていうから、5時間くらいね」という明確な回答を得てしまい、本日中に生まれないことが発覚して絶望。これをあと5時間も繰り返せというのか!!死ぬわ!!!

赤ちゃんの心音の危険をお知らせするアラームはこのころからなり始めていました。

(痛み度数=☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 3分おき)

 

22時~AM2時 死ぬとはこういうことではないだろうか

引き続き痛みに苦しんでいると、今度は何かをいきみたい感覚が出現。下痢をしたいときに電車とかで超我慢しなきゃいけないアレ!アレの強烈な奴が腹の痛みと共にやってくるのです。もうね、全身気持ち悪くてブルブル震えるんですよ。震えるの。「ひぃ」って変な声が出るの。

とりあえずトイレ行って大をしようとしたり小をしようとしたり、なんとかごまかそうとするも全然ごまかせず(当然だ出したいのはそれじゃないから)、ついには吐き始めてみたりした。

なんと旦那がトレイみたいなやつで受け止めてくれたので、何回か吐きました。この時はもうほんと、「死ぬ!死ぬ!死ぬ!殺せェェエエエエ殺してくれェェエエエエエ」という感じでした。

ベテランの助産師さんがやってきて、「はいて~ はいて~」って呼吸を誘導してくれた時はちょっと楽だったけど、うちは旦那付添だったからか助産師さんがほとんど近くにおらず、一人で「ひぃぃぃ」とか言ってました。

今思い出してもここが一番つらいパートでした。つらかった!死ぬときは多分このくらいつらいんだろうなあという目安ができました。

このパートの最後の方でテニスボールを導入しました。導入したては驚くほどいきみが楽になり、「もっと早くやっとけばよかった!!!」とちょっと後悔しました。旦那的にはこの辺スタートでよかったようですが・・・。

赤ちゃんの心音の危険アラームはなりまくっても目覚ましのように助産師さんが入ってくるたびに消してました。

(痛み度=☆×1億 1分おき)

 

2時~4時 陣痛の間に寝るって本当にあるのね

さて、死ぬほどつらい時間を超えてようやく子宮口MAXになったので、分娩台に乗せられました。いきみや陣痛を逃すときには、慣れた体制の方が明らかに楽で、急に体制を変えられると痛みがその瞬間に100倍くらいになって「ひぃぃぃいいい」という声がでました。

仰向けで分娩台にのって、「いきみの練習しましょうか」と言われ、は?練習?もう出るんじゃないの?まだなんかあるの?とポカーン状態に。

とりあえず上手に息めばいいんだな!と思って「地球よオラに力を!!!」とばかりに気張ったら声が出ており、声を出してはいかんと諭されました。なんでも顔が内出血するそうで。

しかし、部屋から助産師さんは出て行ってしまい、その間何度いきんでも赤子が出る様子はなく、しまいには陣痛さえきてるのかきてないのか、という状態になってきてしまいました。旦那も2時間テニスボールを押し続けて限界に。分娩台の上で膝で私のケツにテニスボールを押しつけたまま寝てるという謎の状態になっていました。

かくいう私も陣痛の間に意識が遠のき・・・とかやってたら、陣痛がどんどん弱くなってきてしまいました。

赤ちゃんの心音アラームはこのときもずっとなっていました。

(痛み度数=☆×1000くらい 眠さ=∞ 陣痛間隔はマチマチ)

 

4時~5時 疲労度MAX 終わらせてくれ!たのむ!

もう眠くて眠くて、とかしてたらいつのまにか酸素マスクをされ、点滴をされていました。

4時になってようやくお医者様が入ってきて、「よし、終わりにしよう」ということになり、赤ちゃんも弱っているので吸引分娩になりました。

しかし、この時も陣痛がなかなかこず、いきめず、最後は引きずり出されてました。。。とほほ。

めでたく5時すぎには陣痛から解放されることができました。

産んだ時の痛みとかは正直全然覚えてないです。縫合のときにチクチクしたのくらいしか覚えてない。朦朧としすぎ。。。

 

その後、当日午前中は全く歩けないし、座るとめまいがするくらいの貧血になってました。やべーだろ。

その日の旦那と私は、「昨日をもう一回やれっていったら、もうできないねえ・・・」と言ってました。

なのに二人目ほしいなんて、人間はのど元過ぎればですねえ。。。

 

以上、大変壮絶な出産体験記ですが(誰もみんなそうだよね)、人生においてとても衝撃的な思い出として残るのは間違いないので、これから体験する方は全力で体験して来てほしいなと思います。

あっちなみに、無痛でできる病院なら絶対無痛がいいよ!と私は一回目を経験して思いました。

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